1998/02/01
全1回 (所有期間 : 1987/06〜1994/03)
はじめて買った新車。
安くあげるため、AC/PS/PW/CSなしの最廉価版をチョイス。(本体価格99万円)
![]() | 見る者が言葉を失うほどの「真紅」。ゴルフ4の赤よりも派手でした。無塗装のバンパーと、本来はグリル中央にある丸いエンブレムを外すことで、輸出仕様(アメリカの下駄車)っぽい雰囲気を狙ってました。 |
当時はワゴンに乗っている人はほとんどおらず、ホテルの地下駐車場に停めようとしたら「納品の方はこちらへ」と、営業車と間違われそうになったこともありました。
また、赤いファミリアのイメージからなのか、無意識のうちにフロントドアから無理にリアシートに入ろうとする人も(笑)
車そのものの出来は大変よく、走る曲がる止まるがしっかりした車でした。
ふだんこれに乗っていて80カローラに乗り換えると、カーブでボディが捩れるのがわかるぐらい、このサニーはボディ剛性が高かったです。
![]() | リアビュー。リア窓から覗くでかいスピーカーは投げ売りしていたJVC製。なぜ投げ売りだったかというと、この頃主流になりつつあった4ドアHTではリアガラスが寝すぎていて、リアシェルフにでかいエンクロージャーが収まる車が絶滅しつつあったためです。 |
この車、天井が高く足元も広かったのですが、トランクルームはなぜか底が浅く、タイヤを2本重ねて積むとトノカバーが閉まりませんでした。バンパーと開口部の下端を無理やり同じ高さにするためだったのでしょうか。FFセリカの方がトランクは深いぐらいでした。
1987年6月に買って以来、94年3月に友人の紹介で引き取られていくまでの約6年半の間にデートから引越まで、157,000kmを走破しました。その間、トラブルらしいトラブルといえば、燃料計がレギュレータの故障で一度死んだのみ。国産車はやはり大したもんです。
![]() | 末期の姿。スーリーのキャリアと14インチホイールが付いてます。キャリアは初代テラノの取付金具がそのまま使えました。ドアの構造は全然違うのですが。アンマッチな14インチホイールは"ドレスアップ"ではなく、この頃すでに購入を決めていたシトロエンBXに合わせたスタッドレスタイヤをチョイスしたためです。ホイールごと買っても、タイヤを買い直すより安かったので。 |
ちなみに、この型のワゴンの赤は非常に稀で、同じ組み合わせの車は一度しか見たことがありません。ディーラーで注文した時には(グレードも含めると)たぶん日本で1台だと言われました。
そういえば1987年当時といえば「白」ブームの真っ最中で、ディーラー裏の新車置場にならんでいた数十台のサニーはすべて白! 同行した父が営業マンに聞いた一言は、今でも忘れません。
「これから塗るんですか?」
(2005/06追記)
本文にもありますが、この車の耐久性は大したものでした。とにかく故障せず、また機械部品の消耗が少なかったです。ろくにメンテもしないATで157,000kmを走りきりましたから。交換した部品で記憶しているものといえば、マフラーとショックぐらい。カムシャフトはチェーン駆動なので、タイミングベルトの交換はありませんでした。エンジンはE15S。キャブ式のSOHCです。
燃費は街乗りで13km/l、遠出で17km/lぐらい。街乗り燃費がいいわりに遠出で伸びないのは、ひとえにロックアップの無いATのせいです。
いま思うとシートは良くなかったですね。これが輸入車志向のきっかけになりました。
本文にもありますが、この車の耐久性は大したものでした。とにかく故障せず、また機械部品の消耗が少なかったです。ろくにメンテもしないATで157,000kmを走りきりましたから。交換した部品で記憶しているものといえば、マフラーとショックぐらい。カムシャフトはチェーン駆動なので、タイミングベルトの交換はありませんでした。エンジンはE15S。キャブ式のSOHCです。
燃費は街乗りで13km/l、遠出で17km/lぐらい。街乗り燃費がいいわりに遠出で伸びないのは、ひとえにロックアップの無いATのせいです。
いま思うとシートは良くなかったですね。これが輸入車志向のきっかけになりました。
1987・日産サニー |